交通科学博物館が廃止統合らしい。
そりゃ、色んな意味で時間が止まった場所であることは否定しない。
バリアフリーとか言うのにも無頓着で、車いすだと、第二野外展示場には行けないし・・・。
そりゃ色々文句はあるさ。
でも・・・・・・・・廃止は勘弁して欲しいな。
京都に移設するのは、旧の京都駅の復元遺構と、屋外の展示SL、寝台車ぐらいで良いじゃないか。
どうにか今からでもならないモノか・・・・。
思い出にこだわりすぎるのはいかんのだろうさ。でももう少しどうにか・・・・。
思い出と言えば、入場券に、昔、電気科学館と交通科学館を勘違いして交通科学館にプラネタリウムの時間はいつですか?と言う客が居たとかいてあった。
私はその一人だ。また、その逆の電気科学館に交通科学館の鉄道のシミュレーター(Nゲージみたいなのが走って、電気科学館のプラネタリウムの時に付く解説のように解説の付くと言えばわかる人も居るかな)の時間はいつですかともやらかしたことがある。
他に、こういう事例をやらかしたことがある。親が家族で科学館に行くから、科学館に電話して・・・・と言うところで交通と電気と勘違いしたなんて話もある。これは、昭和六十年ぐらいの話だったと思う。
そのときは、電気科学館の方でも鉄道のジオラマみたいなのが4階にあったり、色々とややこしかったせいもあるという言い訳をしておこうとは思う。
他にも、幼稚園の時、小学校の時、カブスカウトの時、ボーイスカウトの時にカブスカウトの引率で、あと家族で、そしてたまに思い出したように一人で。
懐かしいな。
戦時中にドイツから運んできた戦闘機のエンジンとか、たしか科学技術センターからもって来たセスナとか・・・。
新幹線の行き先表示のパタパタとか・・。
目を閉じれば色々と思い浮かぶなぁ・・・・。セスナとかパタパタなんか、それこそ夢中になって遊んでたもんなぁ。
今は知らないが、食堂車で高い食事(子どもにしては)ができたが、それが手が出ないのが悔しくて、後に大学時代の東下りの時、新幹線のビュッフェでその仇討ちをしたとか。
昔は屋外展示のSLの汽笛が鳴らせたんだよな・・・。それが特に好きだった。できなくなったときは寂しくなったのを思えてる。
もう屋外展示のSLをみて、旧友と久しぶりに会うような感覚に浸ると言うことも許されなくなるんだな・・・。
全てそれは、遠い過去の思い出として消えていくだけになるのか。寂しいな。
跡地が何になるのか知らないが・・・・少しはこの科学館のことを考慮した建物になって欲しいと切に思う。