そう言うアホなことをしているのは、江戸の方である。どうやら。
例えば川柳で、「年徳へ(書くと単なるエロと言われそうなので書かない)を見せて着衣(きそ)始め」というのがある。
年徳神(トシドクジン)というのは、その正月からの年を与る神様。
着衣始めというのは、正月新衣を着初めること。
正月の祝いというのはこれにもあったのかもしれないが、先ほどの川柳である。
その年徳神の前では何をしても良いと言うことで、そう言う卑猥なことをして、そのあとに正月用の服を着て、自慢げだったようである。
ちなみに、そのいる方向を恵方と、江戸では呼んでいた。
だから、恵方自体が大阪のねつ造で大阪が由来だからアホウというのは間違い。
まぁ大阪の場合は同じ恵方でも、歳方神に感謝してだけど、江戸の場合は、こういうことをしてたと。
そういうものなのである。
ちなみに、先日書いたことにくわえて言うと、恵方というものに、それなりに敬意を持っていた大阪と、恵方だから何しても良いという江戸と、この差だけでも感覚が違うというのがわかると思う。むしろ上品下品と言えば?
もっと言えば、川柳、特に古川柳では、男性の陰茎が大きい小さいとか、男女の自慰がなんだとか、先ほどの年徳神とか、細かいところまで残ってる。ところが、ない。
つまり、川柳は江戸発祥であることを考えると、江戸では恵方巻きはしていないし、この年徳神の川柳から見ても、昨今恵方巻きを小馬鹿にする、現代的な視点からしても、どちらが下品かわかろうというもの。
そもそも、当時の浅草のりは、江戸の方ではありふれているが、上方では珍重されていた。(ノリがないわけでなく、伊勢などで採れていたけど、浅草のりとはちょっと違う、格下のもの扱いだった)
つまり、なんでそんなものといえるありふれたものを、上方でありがたがるのかわからない江戸が、(お好きな罵倒言葉をお入れください)な上方を小馬鹿にしただけと言えるのかもしれない。
また、こざかしいのが、上方でノリというと、伊勢などで採れる浅草のりとは感じの違うものだと言ったら、小馬鹿にするのも想像は出来る。
たどっていくとそう言う答えも出てくる。
訳もわからずに、土俗信仰なども理解せずに同じ国内を叩くのは、止めた方が良いと思う。
私としては、同じような用語を使っても違うんだなぁとしか思っていない。