11月4日、朝食は防長苑で洋食だった。
その後、タクシ-をよんで貰って(湯田都タクシー)、ネクタイとカッターとスラックスなのになぜか運動靴という出で立ちで車いすに乗って行動を開始した。
革靴の先行送付を忘れていたせいであるが・・・まぁ仕方ない。(^_^;)
で、8:30に防長苑を出て、凌雲寺跡(つまりは大内義興墓のあるところ)へ。
道中すごいねぇ。とんでもない山道で、たぶん車いすで行ってたら、寝込んで足ろうという感じ。
(タクシーの人曰く、昔はここ(凌雲寺跡付近の駐車場)までバスが来ていてねぇ。云々。例えば、個人的に、吉敷(地名)と義材(言うまでもなく足利義尹)と勘違いして大混乱してみたり。)
それから、中に入ろうとするが、朝露でタイヤが空回りして動かない。
道がヘンだし、階段もあるよと、
仕方ないので、撮影用のカメラを運転手さんに託し、撮影してきて貰った。
今となっては、段々畑の一部みたいな感じだが、かつてはそれなりの規模の館だったように感じた。
足利義尹などが滞在した小原館は、ここだったんじゃないか?と今のところは思う。
それなりの規模は、感じられる。
足利義尹が山口を発してから、直後に、凌雲寺は出来ている。
発掘品情報をよく調査して結論を出せたら面白いなぁと思う。
この日は、当然これだけでなく、他にもあるが、別項に分ける。(^.^)