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旅行記11月4日その2

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旅行記
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2016年11月4日

さて、凌雲寺跡を湯田都タクシーの車で出て、途中で中原中也の墓だかあったがパスして、妙喜寺へ。
タクシーの運転手も詳しい場所がわからず、どの辺?と言うような寺。(^_^;)
仕方ないので、携帯で住所を出し、江良云々とあったので、「江良やて」と運転手さんに。
曰く、通り過ぎてなくってよかった。じゃぁ自衛隊のあたりですねと。
西門あたりかな?
で、昔の観光地図をたよりに私の曰く、その北西みたいやね。と。
まぁ、とにかく、かつて雪舟庭園に向かったときの道を、タクシーで行って、トンネル抜けたあたりで左折していくと、案内看板が。
その通り、たどっていって貰うと、妙喜寺へ。.
貸し切りだといくら?とか、このままいてくれたらいくら?とか聞きながらここまで来たが、リリースした方が安いとのことで、一時下車と言うことに。
そして、妙喜寺。
さて、一月以上前に、封書で訪問依頼を出していたはずだが、住職不在。
困っていると、そこの奥さん?が、そう言う歴史なら、総代さんがお詳しいと思いますので・・・。
と言うことで呼んで貰う。
その間に、その奥さん付き添いで本堂へ。本堂は、本尊さんのぐるりの幕に大内菱があり、大内家に何かしら関係あるんだろうなぁ。と思わせるに十分だった。
あと、本堂へは、エレベーターのようなリフトで上がるわけだが、最近のてらってハイテクだねぇ・・・。
なんて思っていたのだが・・・。
そうこうしている間に、総代夫妻到着。
昔の観光案内図イメージ 1
にある、足利将軍屋敷は、このあたりになるようだ。しかし、何かどんな小さいことでもいい、それこそ、この地図が間違っているでもいいからないですか?
と問うが、わからない。この寺は戦後に火事になっている(そのせいで、さっきのリフトが出来たらしい)し、住職さんは二年ほど前にかわってきた人だし、しかも若いし、わからないと思う。
とのこと。
ちなみに、寺にある大内関係の資料や冊子をいろいろと見せていただいた。しかし、私の望む記述は見当たらなかった。
最後に、わからないと言うことがわかっただけでも収穫です。ありがとうございました。
と言って辞去すると、どちらから来られました?といわれるので、大阪。
と答えると、そんな遠いところからこられているのに、それでは申し訳ないと言うことで、次の予定の場所まで遅らせて貰いますとのことだった。
そこで、断るのもなんなので、送っていただくことにした。
非常にありがたい。ありがとうございました。
妙喜寺の皆さん。
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