どうもわからん。
一般的に足利幕府は、
初代尊氏
二代義詮
三代義満
四代義持
五代義量
六代義教
七代義勝
八代義政
九代義尚
十代義材(義尹、義稙)
十一代義澄
十二代義晴
十三代義輝
十四代義栄
十五代義昭
であるのだが・・・・
阿波公方系の史料にある「足利家譜系」によると・・・。
一世尊氏
二世義詮となっていて、まぁそのまんまなのだが、十代目から違う。
十世義視
十一世義材
十二世義澄
十三世義晴
十四世義輝
十五世義昭
義栄どこだ??
いや、系図にはあるのだが、征夷大将軍としての系図内の認定はあるのだが、「○世」からは外されている。
これは何を意味するのだろうか。足利家の中での長者でないと言うことなのだろうか?
そう言えば、足利義視は将軍職に就いていないが、今出川で将軍後見として色々やっていたし・・・そう言う解釈で良いのかなぁ。
別件だけど、足利義栄の父、足利義冬。安宅冬康に偏諱したとか言うことはないのかなぁ・・・。
とか色々考えながら週末にまた阿波の辺に行こうかなと思っている。