http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080609-00000017-mai-soci
犯人が捕まった。被害者の方には非常な災難としか言いようがなく、おくやみを申し上げるとしか言えない。
とりあえずこう言うとき思うこと
・ 誰でも良いというのはなんだ?
・ 他にすることはなかったのか?
・ 人を殺しながら自分だけは現状助かっているというのは、この事件は加害者にとって、単なるストレス発散とでも言いたいのか?
・ 「自由」とやらを認めすぎた結果の一つの末路の現れではないのか?
・ 死刑廃止論の人はこんなやつでも死刑は適用を回避させるのが正当と言いたいのか?
(そりゃ、殺されたくてこんなことしてるんだから、死刑が、その犯罪抑止力足り得ないのではないかという思いはあるが。)
まぁ大体このあたりを考える。
親のどちらかが家にいて、子供と対話なり一緒に家事をするのが本当の家族像だと思うが、そう言うことをすると子供を監視することになって、自由な成長を阻害するとか言う意見があるらしい。
町会がしっかりしておれば、孤独死やその他、こういう突発的なことする大人のある程度の抑止にはなるとは思うが、それを言うと、戦前の隣組(つまり軍国主義とでも言おうか)を想起させるからダメらしい。
でも、これはその意見を重視しすぎた結果こう言うのになったのじゃないかと思う。
つまり、まだまだこう言うのは起こる。
いかなる人間も家族なり地域なりそれの延長にある社会から孤立させてはいかん。その証左じゃないのかな。この事件は。
23/01/07広電広島駅下車。広島県広島市にある広島駅にて、広電5系統の列車を下車したときのものです。