http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080528-00000937-san-soci
さて、例えば、料理屋で、先祖伝来の味だとか、料理学校で習ってきましたとか、素人料理ですとかある。
中には、なだ万やら、南地大和屋と言った有名料亭で修行したって人もいる。
そう考えた場合、船場吉兆、いや、この場合吉兆で修行してきました。と言って、店を出している人は大変だな。
自分のルーツの一つが崩れ去るわけだ、自身で客がつかめておればいいが、そうでなければ、風評被害の連鎖倒産もありうる。
そう考えると、船場吉兆のやったことは重大だね。
そこまで考えられなかったのか?それとも考えなかったのか。ここまでの金看板になると、自分の店の暖簾だけの重さではなくなっているというのは十分知っているはずなのに。
それだけが気がかりだ。
昔、私は言われました。
「もし君が悪いことしたら、全国の同じ名字の人が悲しむんやで、それだけはわかっときな。」
今になってああこのことなのかな?と思います。
また、利休百首に言う
規矩作法 守りつくして 破るとも 離るるとても 本を忘るな
というのは、このことを指しているのかな?
「本=基本」を忘れたからこうなったんだろうなぁ。
と思います。
(間違った歌の解釈ってことはないとは思いますが、もし誤解釈だとしたらごめんなさい。)
24年06月21日および22日の大阪府内、神奈川県内、東京都内、埼玉県内、鳥取県内での活動報告です。撮影は40本かな。色々忙しく、疲れたな。