国際化というのは、自国なり自分自身の文化なりを発信するもんだと、私は解釈していたし、今もそう。
しかし、日本の場合は違うんだね。
というのは、戦後からは欧米の、最近は中韓の文化を鵜呑みに受け入れていくことこそが国際化だと思い込んでいる。
口を開けば、「全て日本が悪い」やら「日本は遅れている!!」かのように声高に叫ぶ論客が多い。またそういう人物しかまずマスコミは取り上げない。
それで、テレビ離れといいながら、テレビの言うことを第一義に考える一般の「賢い視聴者」は、その一つのマスコミの誘導に従ってしまう。まるでハメルーンの笛吹きの話のように。
マスコミも、戦前は国に報道管制されていたから自由がなかったとか言う割に、どこのチャンネルを回しても同じ事を言っている。誰が、報道管制しているのだろうか?マスコミと言いながら、報道の情報元には「ロイター」「共同」なんて言う言葉が並ぶ。それから考えてると、彼らは、取材するというのを放棄したと言うことで、マスコミとしての体を自ら放棄しているのではないかと思う。もしそうならば、マスコミなんて言って欲しくないね。反日プロパガンダとでも言って欲しいね。自分から。自国民の自信を喪失させるような報道しか過去現在していないんだから。
それを考えたら、こういうインターネットで、マスコミが取り上げないのを発信して、あるべきものを細々とでも守っていく方がよいのではないのか?と思う。
自分がいて、家族がいて、地域がいて、その延長線に国があるんだから、自分がきちんと生きているのであれば、それを誇っても言いはずなんだ。またそういう生き方をしていれば、よその文化を見下したような生き方はできないはずなんだ。
それから始まる相互理解というものが「国際化」あるいは、それに繋がる、繋がっていけるといえるのではないのだろうか?
2022年10月3日は、#不眠症 の件での通院。