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山口その3

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旅行記
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大内文化探訪会様との会談。

中原中也記念館で合流後。どこで話すかで困り、狐のあしあとで珈琲を飲みながら話すと言うことに。
そこで会はこんなんでこんなこんなでというような話とこっちの紹介みたいなの。
それだけだと、別立ての必要はない。(^_^;)
私の側としては、例えば、大内の文化について、近藤清石著の本や、御園生翁甫の本を見せながら、こうは言っても、あくまで本の上のことで、わからんところがおおい。
ということで、会を覗かせて貰って、それの解決の糸口になるのなら・・・・。
という話をするなどしていた。
なんか相手してくれた人は、そこまで詳しくない人なのか、要は私の挨拶代わりの軽い挨拶のつもりであったのだろう感じだったので、ちょっとじれったくなった私は一発、こう言ってみた。
凌雲寺跡についてどう思いますか?
と、
私は、そもそも、今の神福寺の付近にあった足利義稙用の屋敷を、足利義阿t願い亡くなった後に大内義興が帰ってきたあたりまでに、今の凌雲寺跡に移築し、その後住んでいたが、大内義長などのせいで大内氏館が焼けたあと、そこにそのまま毛利が移築した。だから、今の龍福寺の発掘調査で、基礎が削られて云々というのはこのことを示しているのではないか?と。
それに、凌雲寺跡が、焼亡したとか。放置のあとで朽ちてなくなったにしては、その跡に焼け跡もないようだし。そもそもキレイすぎるなど言って投げかけてみた。
そして、であるからこそ、後に、その龍福寺が焼けたときに、興隆寺から本堂が移築できた(そもそも大内の菩提寺みたいなところだし、本堂出せと言われて喜ぶ寺などあるまい)んだろうと推論を出してみたが、こちらの気をよくさせるためなのか、驚かれてばっかりで本当に良いのか?と逆に悩んでしまった。
とにかく、その会は、来年1月20日に正式発足らしい。
それまで35年かかったと言われた。
まぁ、それなら、完全に私を試して、気分よく入会させるためにわあざとしたんだろうなぁと思いながら(詳しい人に問い合わせてみるなど言っていたので)、その他も話も色々として、小一時間くらい話して、そこをあとにした。
正規会員になるかは保留。ただ、何かしらの形で関わって、得るものがあれば良いと思っている。
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