さて、2011年9月22日以来の訪問。
事前連絡していたので、学芸員さんがいた。
てっきり、高齢のおっさんかと思ったら違った。
それはさておき・・・。
わかったこと
・神光寺と合併した平蓮寺があった場所は、現在の山口市役所のあたり。
・防長志要にある「大内時代の山口古圖」は、古老の記憶に基づくという性格のものなので、あまり信用できない。
・・宣教師の山口図などもあるが、その原版が不明であるため、これらも同じく信用できないので、それら全てと照合して、慎重に検討する必要がある、
足利義稙がらみの話はこれくらいで、
次は
・この観光案内図は、湯田小学校の位置とその移転用地の記述があることを考えると、昭和9年夏頃から、昭和10年3月までの間のものと考えられる。
・あと、刑務所前の一本松の一本松が、今は地名のみだが。いつまで存在したのかは、今後の検討課題であるとのこと。
・大正大路というのは、軽便鉄道のあとのことであるそうだ。
・山口市観光温泉課は現存するのか→しないが、似たような業務は別の部署がしている。
・
まぁだいたいこんな感じ。
学芸員の方にはお世話になりました。
幕末の企画展の担当みたいな感じだったので、たぶん、専門外で、苦労させたかも知れませんが、
防長寺社由来、大内氏実録などを参考に、私のような拙いものまで丁寧に解説しようとされる姿勢には好感を覚えました。
ありがとうございました。また、疑問など見つかれば、事前連絡の上伺いします。
こう言いたくなるくらいの、いい対応だった。
凌雲寺関係の資料を二冊購入するなどして、山口市歴史民俗資料館を辞去した。