畠山順光。調べていくと・・・。
うちの所蔵資料で不足だから、ワカランのだろうが・・・。
畠山・・・
永正十五年畠山亭御成記で時の將軍義稙(こういう記述なのでそれに従う)が、その畠山順光亭に「御成」している。
私としては、同行していた畠山尚長のことかと思っていたが、どうも違うようだ。
先日の木下昌規氏の著書によると、「その後、義稙の阿波落ちまで同行し、その後隠然たる勢力を保ち」云々とある。
となると、畠山尚長ではない。それは、義稙没以前に淡路で亡くなっているから。
じゃぁ、誰なんだ?(畠山義就流(要は、總州家)の誰かか?まさか、能登畠山家ではあるまい。(^^;)
と言うことで、系図を群書類従の系図部から引っ張るが・・・。
わからん。
その名前がない。見事なまでに。
尊卑分脈やらその他史料でも持ってこないと、出てこないのかなぁ???
例えば、改名別名色々あるし、あるだろうが。とりあえず、式部少輔補任記録のありそうな本でも・・・探すしかないな。
とにかく、まだその辺りの本は、未所有だから、買わないといかんなぁ。
あぁ、カネもなければ、置き場もない。あぁ困った。
ちょいと愚痴
嗚呼この時代の師や同好の志のいない悲しさよ。すべて自分でせんといかん。(^^;
順光=光に従う?この場合は正当な公方に従っていると言うことか?
と言うことなら、足利義稙の最側近辺りの誰かで間違いなさそうなのは、確かに、そうなのはあるが・・・。
「光」を、貴人が名前なり,称号で敢えて言う場合は、我こそが正当正義という場合があることを考えるとこうなるが。
さて・・・畠山順光は、何者だ???