さて、昭和38年発行の交野町史に、こんな記述があった。
思いっきり意訳して、略して言うと、足利義稙の家臣が、交野の無量光寺の再興者として存在している。
星野親忠といい、足利義尚の守り役もしていて、高齢のために隠居するつもりだったが。足利義視のたっての願いで義稙の守り役として使えることにした。
しかし、後の明応の政変で、義稙がとらえられるなどしたときに。世の中をはかなんでそのまま隠居したなどの記述がある。
まぁ、もっと読み込まないとね。
無量光寺が、天台宗から、蓮如の影響で浄土真宗に転向したのは親忠の息子とか。またややこしいことが書いてあるので。
交野だから、さほど遠くなさそうだ。
一回行ってみようかなぁ。
立つ夏を 忘れて過ごす 一人もの
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