2010年3月20日の穴太坂本行
この道中は
あっさり結論を言うと、
平面地図はもう信用できん!ということ。
JR唐崎駅を出て、京阪穴太方面へ。途中で、穴太の公民館で、足利義晴の五輪塔あとを見物。
『近江國滋賀郡誌』に、「頼珍逆修」と刻まれた彼の墓が穴太に現存すると記されている。と、歴史読本スペシャル 特別増刊「臨終の日本史その死の瞬間」にあったせいもあり。見に行ったんは良いんだが。その元々の五輪塔は崩れて、地蔵の社の、周辺の石という感じだった。ひとまずの表記はあったが、それだけ。
やっぱり滅亡すると、扱いはこんなもの。と言う思いを強くした。
坂本付近の話
それから、地図では、そこまで遠そうでもなかったので、坂本に行こうとしたが、さすが坂本と言うだけあって坂だらけ。穴太の駅周辺を行くだけでもきつい。(穴太の駅に入るだけでも苦労して、近所の人が見かねて助けてくれたぐらい。)
車椅子ではちょいと難しい。と言うことで、京阪穴太から京阪の坂本駅まで。
坂本に行った以上、坂本城か、比叡山延暦寺かどちらかと思ったが、坂本城は琵琶湖丸出し。比叡山は山だし・・・と言うことで、まるで場所が逆。と言うことで、延暦寺に行こうとするが、これまた坂がきつい、ケーブルに行くつもりで京阪の坂本駅から坂を駆け上ろうとするが。そこまでの道がどうも国道らしく、車の通行があって、上がりにくい。仕方がないので、途中の日吉神社でも拝観して変えるように方針転換は良いが、砂利道かつ凸凹道と拝観料を取られるなどと言うことで、鳥居をくぐったあたりで休憩して撤退。
それから京阪石山坂線にて三条京阪に出て、三条からしばらくぶらついて清水五条の駅から帰宅。
2010年3月20日の穴太坂本行の話。
結論:大阪市内でいくら動き回れるとはいえ、ああいう山道が多いところでは、まだまだ序の口。両手首の関節痛がまだ残ってる。もっとトレーニングしないといかん。山道の100メートルは大阪の1キロぐらいと思ってやらないといかん。そう思った。あと費用を無視するならば、誰か巻き添えに連れてこないとダメと言うことか。