2011年2月6日は、午前中、ちょっと藤井寺の方に昔からちょっと見てみたかった古墳があるので、地下鉄八尾南の方から行くことにした。
めんどくさいのでこれを。(このサイト好かんけど)
津堂城山古墳。
私の記憶では、航空写真を撮るまで、古墳として認識されてなく、ほぼ全体が削られて消滅寸前だった古墳。
その理由は、そもそも大きすぎて、古墳とは理解できなかったから・・・だったはずなのだが。
かろうじて残った後円部から色々見つかって陵墓参考地にはなってるらしいが、以下の通りなんか変な感じ。
(前方部から後円部の方を撮影)
後円部の森以外、あとで無理矢理とってつけたような感じ。
(後円部と周濠だったはずの植物園)
(説明板。)
史跡の割には、なんだかねぇ・・・という感じ。
(古墳の標柱)
古墳は古墳だけど、「史跡の墓」って感じだった。これで、ハニワとか石棺などが見つかってなかったら・・・と思うとぞっとする。
以前書いたが、やっぱり、古墳という言い伝えがあっても、出土品がなければ、ただの山なんだ(盗掘済みであったら余計に)な・・・。
どうにか見つかれば、こういう風に一抹の保護は与えられるが、そうでなかったら宅地・・・。
この国の歴史認識ってこんなもんなんだねぇ・・・。