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2021年8月7日の報告。敦賀市内を行く。

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旅行記
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朝起きて。6:30頃朝食を。DSC_0128.jpg
結構混んでいて。この時、マスク紛失。(;^_^A
別に手持ちがあって助かったなぁと。
そして、このあたりの資料館の大体の開館時間が10時ごろということで、9時10分ごろにホテルを出て、まずは、出発地点の敦賀駅へ。つまりは、2021年8月7日の敦賀市内へ。
それでまずは、気比神宮・・・と思っていくのだが、鳥居の前に二三段ほどの階段があり、その後ろにそり橋が・・・。こりゃ無理だわということで脇にある駐車場のほうに行くが、そこでは鳥居のほうに回れと。(;^_^A
神宮一周するには暑いので、あきらめることに。( ノД`)シクシク…
そのまま、敦賀鉄道資料館のほうに進路をとる。
そして資料館。レンガの段差が激しくて無理そう。裏に回る無理そう。でも裏に事務所の窓がある。叩いてみる。反応が返ってくる。
表に回る。スロープを出してくれてどうにか入館できた。名前の記入や検温などを済ませ、館内へ。
一階のジオラマや、模型などを見て。二階は無理そうということで、あきらめる。
近所で何か見るところはあるのか。こちらとしては、市立博物館方面に行く予定と告げると、方向は違うが、赤レンガ倉庫はどうですか。ジオラマが立派ですよ。人道の港ムゼウムなんか杉原千畝の・・・なんて説明を受ける。
金ヶ崎城?坂がきついし…無理だと思います。こんな感じの会話を。
ほかには、この資料館は、移築ではなく、復興再現ですと。実の駅舎は、昭和20年の空襲・・・敦賀で三度あったらしいが、その時に全焼したそうな。
では次敦賀ムゼウムのほうに。この緑地を抜けたあたりの昔敦賀港駅があったところですよと。
この辺の緑地は、戦後に埋めて緑地化したものらしい。
そしてムゼウム。
名前の記入や検温などを済ませ、館内へ。
館内で、JRの観光列車でいそうな服装した人などのいる館だった。
そこで、館内を行くときに開設をもらうついでに介助してくださる人が一人ついて。
まずは、シアターでポーランド孤児やユダヤ難民とがなんで敦賀に関係あるのかというムービーを見せてもらう。
そして敦賀の古代から現在の発展についての展示、企画展示。杉原千畝の肉声インタビュー音声。
このインタビュー音声を最初から最後までフルに聞く人を見るのは珍しいといわれた。(長さ28分だったかあるし。まぁ、そういわれるだろう。)
その後ユダヤ難民やその子孫の証言ビデオなどを見る。これも一巡すべて見るのは…だった。(;^_^A
個人的にはすごくためになったと思うから、それでいいかなと。
その後もそうだが館内にいるときずっとそのついた人と雑談交じりに会話。
まぁ事前に色々調べるのはいいことなんだよなと・・・そんな気もした。そんな話が結構。(;^_^A
自分で言った後に、そのままさっきの言葉通りに管内で紹介があったり・・・ちょっと余計な会話が多かったのかなぁ?率直に聞いたつもりだったんだけど。(;^_^A
ムゼウムは、ロシア語?ポーランド語?と聞いてしばらくしたら、その掲示があったり…。(;^_^A
そういえば、普通、その国の食事を取り上げるとしたら酒がどうのとあったりするがないですね。そんな感じの話なんかもしていた。
出てきた蜂蜜酒。一回探してみようかな。
館を出るまで、そのついてくれた人は、終始にこやかに応対してくれた。
また次回行くことがあれば探してみたい。そう思わせるにいい人だったと思う。非常にためになった。繰り返すようだが。
そして、次は赤レンガ倉庫。
中で何やってんだろと思って、旧のムゼウムが緑地の休憩所になってるのを見てから、赤レンガ倉庫へ。
外の急行わかさを見て、館内へ。
ジオラマ。確かに大きいのが一階奥にあったけど、コロナ対策で運転体験などのイベントが不能…。
ジオラマのテーマはちょっと昔の敦賀というところか。スイッチバックとかいろいろ表現してあって。確かに見ごたえはありそう。(⌒∇⌒)
汗がちょっと引いたかなというころ合いになって、中で土産代わりの地ビールセットを購入し、館を出る。
館を出て、次に向かったのは、敦賀市立博物館。そもそも最初から計画していた場所。
が、なかなかたどり着かない。ちょっと道間違うと初見ではわかんない・・・まぁ。除く方向音痴なんだろうが。
そしてどうにか到着。
館に入ろうかとすると、どうもスーロプもなんもない。(;^_^A
入り口をよく見ると、車いすの人は電話くださいとあったのでその番号にかけてみる。
紆余曲折あって、スロープを出してもらうことに。
その時、地元の人か。入るの?中に行ってきいてあげようか?云々。
こちらは、いえ、電話でお願いして・・・というが、館の人が来るまでどうも不審に思ったのか、いろいろ気にかけてくれた。
電話で間の横といっても、山車会館のほうといっても・・・よくわかんないでいたら、館の人が出てきて、大きいスロープで館内へ。
その時、先の地元の人と別れる。曰く。そういうもの(=車いす)なんかじゃ無理だと思ってたけど、行けるんですねとのこと。
そして、幅64センチの車いすでぎりぎりの幅を抜けて館内へ。
ここでも、名前と住所記入と検温。なんだけど、名前と住所は、障がい者手帳提示の時に、そのまま転写してもらえたら・・・。ということでしてもらう。
そして2階や3階もあるとの解説。
階段しか見当たらなかったので、1回しか無理かと思って聞くとエレベーターがありますと。
昔の感じですか?今風?
今風です。但し、昔のは三階に展示してありますと。図録なども販売してますよと。
では、まず三階へ。いろいろと展示を見て、その昔のエレベーターを。
機械遺産だったか。その認定を受けているそうな。
次は2階へ・・・。実はこのエレベーター狭い。私の車いすでぎりぎり。無理やり奥に突っ込んでどうにか動作する。ちょっとずれると扉が開いて動かない。(;^_^A
貴賓室などを見て、地下へ。
昔の水洗トイレや、休憩室があるというが。エレベーター降りて即2段ほど段差があるので、一人では無理なので。あっさり引き下がり一階へ。
一階に戻り、金庫室や、大和田銀行の説明などを見て、さっきの窓口へ。
足利義尹が、一乗谷に来たあと敦賀に来ていると思うのですが、その研究紀要みたいなのないですか?と聞くと、学芸員さんが窓口の人に呼ばれて来て。
福井の県立や市立では、福井といえば幕末なので、その頃はわからないみたいなのでこちらではどうかと思って…。
というと、例えば足利義稙ですね?とかいろいろ確認をとって、部屋に何度も往復してくれて。
最終的には福智院文書などを調べるのがいいのかなという結論だった。
とにかく、敦賀市史にも、足利義稙のころの話がすっぽり抜けていて、わからない。また、それを聞いて来る人もいないから、研究紀要もない。
とのこと。
うーむ。地方史やばいぞ?このままでは。(;^_^A
その後、この建物のもともとの大和田銀行といえば、大和田伸也氏の実家でしたっけなんて話をして、その返答に、大和田獏氏と伸也氏は、本家筋の方です。なんて言う応答のある話をしたり。この後このあたりで見るものはないですか?参考までに言ったところを伝えると、あらかた見てらっしゃるんですねと。それで、私は水戸天狗党にあまり造詣はないということを伝えると、どうしましょうかと。
周辺地図を見ながら、晴明神社はどこですか?
と聞くと、ここ出て30秒ほどの場所ですと。
では、行ってみましょうと。
で、どうやって出たもんですかね?と聞くと先ほどのように…。と。
入ってきた姿を逆回しにする感じで博物館を出る。
礼を言ってから、晴明神社は?と聞くと、そこの十字路曲がってすぐとのこと。
行くと、確かにその程度の時間でつくんだが・・・。まず小さい。戦乱くぐり抜けたにしては、小さい。
しかも階段があって入れない。(;^_^A
仕方ないので、階段前で手を合わせて、神社を離れる。
その後は、遅い目の昼食を平和堂の6階で摂って。
敦賀駅に向かい、夕食を早い目に購入し、15時少し前にホテル帰着・・・至る現在。
暑さもあって、さっさと引き上げた。
今日会った皆さん。ありがとう。(⌒∇⌒)

2021年8月7日の敦賀市での出来事でした。(^.^)

瑞雲

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