まずは、佐古駅に、列車到着。
下車しようとするが・・・見回してみても、駅員さんがいない。(;^_^A
どうしようかと思ったら、運転手さんが気付いてくれて。
周りの乗客に声掛けして、下車手伝ってくださいと。
おかげでどうにか下車することができた。
その佐古駅の駅員さんは。というと・・・私が、ホームのエレベーターの前に到達したころに、ホームに到着。
あれ?どこって感じの顔して思いっきり焦っていた感じだった。
こっちは、気づいたので、こっちこっちとばかり、手で合図して、エレベーターに乗り込んだ。
エレベーターを降りて。
階段降りてきた駅員さんが介助用の板を持ちながら、お客様対応していたので・・・。云々。
それでは仕方ない。そのまま改札を出た。
この駅で待ち合わせをしているので、トイレに行こうと思ったが、対応トイレが改札外にないのであきらめ、熱中症予防にジュース買って飲んでたら。件の待ち合わせの人が。
挨拶して、車に乗って。円通寺から、勝瑞城址、将軍塚(=足利義冬の塚)(義冬の卒後、地元にその謝礼として遺品を下賜したものを埋めた塚)、大将軍神社・・・。(ほかに、地元の案内なんかもあった。例えば、勝瑞駅近くの商店街の昔話なんかも聞かせてもらった。こういう話は地元民を味方にしないと聞くことができないから、本当にありがたい。(⌒∇⌒))
うーん。阿波公方研究会。(⌒∇⌒)
実際、足利義冬は、堺から負けて帰ってきたときに、やる気を失ってふさぎ込んでいたのを、田宮の住民が力づけて。
それも、平島館近くに館を作って、衣食の世話から何から世話した。なんて話があるので、その関連だろうと思う。
足利義冬の塚は、小さい感じだが、北島町の文化財的な扱いを受けているようで。
もっと調べれば、面白い発見もあるのかな?と思っている。(⌒∇⌒)
大将軍神社は、私の行った神社にしては珍しく、由緒書きなどがなく・・・。何を種に調べたものかなぁと思ってる。(;^_^A
勝瑞城址は、以前とちょっと違う感じで、そこの観光案内パンフみたいなのもあったし。とか、小笠原の何世目の当主が云々という立て看板みたいなのもなかったなぁ。祭りみたいのがないと、そういうのは出ないのかな?(;^_^A
その日持っていった三冊の資料は、すべて空振りで。ほとんど「もちもの自慢」みたいになったのが悔やまれる。(;^_^A
阿波名所案内で、大将軍神社を板野郡で探すが記載なし・・・。これでは、重たい思いをしただけ。(;^_^A
その後、阿波踊り会館で、車を下ろしてもらい、ガソリン代替わりに、大阪を出る時に買った土産物を渡して、その人とは別れた。
ところが、阿波踊り会館内で、また鉢合わせして、このあたりの土産物は何でしょうね?なんて聞いたときは面白かったなぁ。(⌒∇⌒)
その後、まずは重いだけになった荷物を置きに、宿に向けて車いすは進路をとるのであった。
川の橋を越すのになぜか苦労したな。(;^_^A
さて、宿到着後の話は次回以降に。
次回で、21日編は終了予定です。よろしくお願いします。(⌒∇⌒)