古書市で本をあさってるときに、山口の関係の明治の頃の書物(防長志要)で、こんな記述があった。
「(𦾔神光寺は、今の寺地左側なり、故に将軍屋敷は今の兵営内なり」
と、その本にあった。言うまでもなく私は、足利義稙の将軍屋敷を探索していて、この件について、先日、妙喜寺に質問状送付した直後に見つけるのもなんだが・・・。
兵営内というのは、明治で言う第42連隊。今で言う陸上自衛隊の山口駐屯地。
と言うことは、数年ほど前に、山口県文書館の提示してきた推定地であっていると言うことになる。
妙喜寺の返答次第だが、どういう結論になるのか、楽しみなのである。
この山口案内図で、連隊の上の方に、山口高野山があり、その隣に、足利将軍屋敷がある。
だから、場所的に妙喜寺だと思って、質問状を送付したのだ。
空襲で焼けたわけでもないから、そのまま残っているだろうかと思って。(^_^;)