バターン死の行進なんて、最初からありませんから。
とにかく、最近よく言われる「日本軍の残虐行為」としては。
第一、それに関係あった大阪の八連隊の記録でも、捕虜の方が体格なども良く、どっちが戦勝国かわからなかっただの、ついでに資材を日本兵は運んでいたが、体の細い日本人が苦しそうに運んでいるのを見かねた捕虜の方が志願してそれを運んだとか・・・。
そう言う状況下だったのよ。
車で運べばよかったとか言う人もいるけど、その頃の日本にはそこまで機械化された部隊はなかったし、トラックの絶対数も不足していたし、現場は未舗装で、結局徒歩で運ばざるを得なかった。
第一、攻めた方の方が守備隊より兵士が少なく、守備隊の方が何倍も多い。それをトラックで少ないトラックで移送できるほど手間暇時間資源は当時の日本にはございません。
こんな状態ですから。
戦後も、バターン死の行進問題が上程されたとき、米国側のマスコミですら、「それはない」と言っていたし、裁判でも、無罪の公算が高いとまで言われていたのが、何故か有罪にされたわけだ。
それだけ言っておきます。