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山口その4

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旅行記
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食事と言っても、いつもの通りの、大内料理の大内義興コース。

一人で寂しくてなんかなぁと言ったせいか。現地の知り合いが、私が酒が空くまでと言うことで同席してくれた。
そこで、イイダコのはずなのに、たこが来てるだとか。赤ほごの味が甘すぎる(=煎り酒の仕掛けが甘い)とか色々と話していた。
そして、この料理は明応九年の三月とあるが、実は12月なんだという説があると紹介したら。そのほうが、言われてみれば合点がいく。(例えば、3月にかどのこ(要は数の子)なんかへんだなぁと思ってた。とのこと。)
で、なんでそう思うの?といわれるので、書写の間に、書き写す人間が書き間違えたのではないか?と。
そもそも、書写する人間の教養が反映されることもあるみたいで・・・など言ってみたりしていた。
例えば、(元号は適当に言ったのだが)享禄三三九とあったら、享禄3年3月9日だが、これが明応12年とした場合、一二を重ねて書いたら、見方によっては三に読めなくはない(言うまでもないが、その写しを見るなどしないと出ない答えだが)。こんな感じで。
例えば、私は阿波公方の関係で山口に来たわけだが。その阿波公方を書で書いたとき、「阿州公方」だが、人によっては、「河州」と読めるような感じの字を書く人もいる。
だからそこで勘違いしたのが定着したのではないか?ただ、それを証明するには、もっと本を読み込んで結論を出さないといけない。
ここまで言っておいた。
それと、当時、砂糖は使われていないという触れ込みだが。昭和10年発行のある本に、砂糖は、室町の中葉には世間でも広く知られ云々、ただし貴人の中で云々。
ならば、大内義興みたいなハイカラ男が、そういうのをほっておくわけがない。
ただ、甘藷糖や、砂糖竹(要はサトウキビ)からとすると、もっと史料がいるかなぁと。
そう言う話をした。
他に、若山牧水の話や、そもそも足利義稙はどこに前記があるんだとかそう言う話をして。それで、二合半くらいの酒が空いたので、そこで別れた。
次は、山口近郊の観光地で何か話でもしようかという話をしたが、その辺はまた後に詰めれば良いかな?と思ってる。
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